2011年度オーストラリア英語研修旅行 報告書

M. N. (26期生女子)

 ふと、廊下の壁のポスターに「オーストラリア英語研修」と書かれた文字を見つけたとき、興奮したのを今でも覚えています。小さい時から、海外に憧れ、道で誰彼問わず、外国の人にあった時は目を離すことができない程でした。そんな私にとって今回のこのプログラムを知って、どれほどうれしかったか分かりません。

 シンガポール空港経由でオーストラリアに行きましたが、耳に入ってくるのはすべて英語。もちろん目にするものも・・・・メルボルンの街は、物語に出てきそうな建物がいたるところに建ち並び、ハリウッドスターのような人たちが歩いていて、そこはまさに映画のワンシーンのよう。私の目には見るものすべてが輝いて見え、嬉しくてたまりませんでした。

 またオーストラリアはたくさんの移民の人たちが住む国でもあるため、私がホームステイしたのは、トルコの家族が住む家でした。初めて、彼らにあった時、私は不安と戸惑いでいっぱいでした。しかし、そんな心配をよそに、彼らは私を暖かく迎えてくれました。それは本当にうれしいことでした。私のホストファミリーには3人の子供がいましたが、1歳上の女の子と大学生の男の子は、本当の姉と兄のように接してくれました。1歳年下の女の子は、私にとって友達であり、姉妹であり、家族のようでした。彼らはやさしくて、おもしろくて、とても素敵な人たちでした。特に年が近い姉妹とは、いつもふざけあい、どんな些細なことでも冗談を言い合っては笑っていました。また買い物に出かけた時はいつも、ボーっとしている私のそばでリードしてくれました。夜は、英語を教えてもらったり、大学生の兄が日本語を勉強していたので、私が教えてあげたりもしました。

 しかし1日1日が楽しかったと同時に、自分の英語力のなさにいつも歯がゆさを感じました。話しかけられても、話すスピードがはやいので聞き取れず、言いたいことも、なかなかうまく口に出せませんでした。それは私をとても悔しく、また悲しくさせました。私はいつも電子辞書を持ち歩いていましたが、1歳下の女の子もまた同じように私が教えた日本語を書いたメモ帳を持ち歩いていました。そしてそのメモ帳を見てゆっくり一生懸命話してくれる彼女の優しさに、いつも私は救われました。

 学校では、現地の生徒と一緒に授業を受けることができ、年齢を超えて、多くの生徒たちと話すことができました。彼らはみんな社交的で気さくに話しかけてくれました。私も英語で話すことはできなくても、人と出会うときは笑顔であいさつしようと心がけました。すると相手は最初は驚きますが、笑いかけてくれました。現地の授業は、日本の授業風景と異なっていることは知っていましたが、どのクラスに行っても、とても自由な雰囲気でした。彼らは自分の意見をクラスメートや先生たちに懸命に伝えていましたが、本当に圧倒されてしまいました。日本の授業風景を伝えると、反対に驚ろかれました。他にも様々な日本との違いが見えてきて、今まで当たり前に感じていたことも、異なった角度から見ると、新たな発見があることに気付きました。

 海外英語研修の2週間は毎日が楽しくて幸せでした。辛かったこともたくさんありましたが、それ以上に何倍も嬉しかったことがありました。そのうちの1つはホストファミリーとの出会いでした。私は彼らと数えきれないほど素晴らしい時間を共に過ごしました。そしてついに彼らは私にとって、第2の家族であり、かけがいのない存在になりました。あんなに不安だった気持もどこへ行ったのか、日本に帰る時は、彼らと別れることがとても辛く、悲しく感じました。

 私はたった2週間しかオーストラリアで過ごすことができませんでした。まだまだ知らないことがたくさんあり、自分のふがいなさも身にしみて知りました。一歩外に出てみて、改めて世界の広さを思い知らされました。私は今回のプログラムを通して、今後も多くの人と英語で交流して友達になりたいと思いました。又今回出会った人達ともっと深い関係で結ばれたいと心の底から感じました。これから生きていく中で、これらの日々は人生のほんの一部にしかすぎないでしょう。しかし私には、この2週間が自分自身を見直すきっかけを与えてくれ、成長させてくれるものとなりました。そして、どんな形のあるものよりも最高に素晴らしい、忘れることのできない宝物となりました。

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