愛しき森の人々との出会い

社会科 田中偉晃

 車と舟を乗り継いで到着した村は、あたかも森の中に浮かぶ長い舟のように見えた。やがてきらびやかな民族衣装を着た人々に出迎えられ、われわれのホームステイは始まった。

 日本を出発する直前に東日本を地震と津波が襲い、福島の原発が重大な事故を起こした。私たち日本社会は、有り余るほどのものを持ち、目新しいものを次々と手に入れようとする。必要以上に食べ、食べきれずに捨てる。一晩中コンビニは明るく輝き、人々は深夜テレビやインターネットで夜遅くまで過ごす。一分一秒でも早く移動するために、自動車を使い、そのために道路や高速道路は縦横無尽に張り巡らされている。新幹線はちょうど東北から九州までつながった直後でもあった。

 私たちは、常に際限のない「欲望」という日常に生きている。しかし、豊かな列島の自然はその代償として、無残に破壊されている。いたるところコンクリートで固められ、手つかずの自然などどこを探しても見当たらない。また進んだ「文明」を享受し、「豊か」な暮らしを続けるために、われわれは人間自身が最後には制御することのできないエネルギーに手をつけてしまった。原子力エネルギーは、いま私たち人間に牙をむき、取り返しのつかないダメージを受けることとなってしまった。

 サラワクの人々の生活は、そんな私たちの対極にあるといっても良いだろう。自然には最低限しか手を付けない。焼畑を営む彼らは、森を焼く。毎年移動しながらの農耕であるが、使わなくなった畑はやがて自然の力によって元通りになってゆく。決して再生不可能な姿にまで変えることはない。それこそ彼らが先祖から受け継いできたやり方なのである。ほとんどの食料と、生活物資を自給し、最低限の必要なものを得るために商品作物の胡椒を植えている。もちろん以前のように彼らは裸に近い姿ではないし、携帯を持っていたりもする。彼らの生活になかった「文明」に対する欲望が全くないわけではない。しかし、彼らは日々の食料を栽培し、身の回りの道具は近くの森の中から材料を切り出して作り、川で水浴びをし、夜はわずかな明かりで過ごしていながら、決して不幸ではない。逆に時間はゆっくりと流れ、彼らはその豊かな時間の中で「生きる営み」を思う存分満喫していた。

 かれらはロングハウスという長屋で暮らしている。かつて日本でも長屋と呼ばれる場所はあった。日本で長屋が消えたのはいつ頃か。その頃まであった身近な人のつながりも消滅してしまった。長屋でなくても日本人にも、近所の人々との濃密な時間を共有していたころがあった。日本でもかつてあった濃い人間的なつながりがこのロングハウスには残っている。時には嫌になることもあるだろうと、嫌みな質問をぶつけてみたが、そんなことは全くないと口をそろえた。いや、それこそそんなことはないだろう。ロングハウスのなかでも実は貧富の差がある。われわれが手伝った焼き畑の収穫作業を他の家族は見ているだけで手伝おうとはしなかった。だが、ロングハウスでの暮らしぶりを見ていると、各家族には一定の距離がありつつも、一方で共同体として助け合いながら暮らしているようだった。それは、今の日本ではほとんど見られない。それこそ、大災害でも起こらない限りみられることはなくなってしまった。われわれが失ったものがここにはある。そんな感覚を抱いた日々でもあった。

 ジャングルは静かだった。鳥のさえずり、風の音、川の流れ、スコールの雨の音。人工的な音がほとんどない。ときおり、川を走るエンジンボート、バイクの音があるが、人工的な音は収穫した胡椒をござに広げたり、調理をする音くらい。この静かさが時間の流れをゆったりさせてくれるのだろう。何もすることがなければ、ロングハウスの中の長い廊下に出てごろごろと居眠りをする。そんな中にいるといつの間にか時間が過ぎているのだ。裏山の焼き畑に案内してもらい、米の収穫を手伝った。急斜面に植えられた米は、水田に慣れた日本人には少し不思議な感覚である。稲の先だけを刈り取る穂首刈りで、籠に稲穂だけを入れていく。この網籠も手作りである。ジャングルの巨大な葉を切り取り、器用に編み込んでいく。私たちのためにうちわを作ってくれた。葉と葉を組み合わせてきれいに形を作り上げる。時々葉が隙間に入りにくくなると使うのは、何かの動物の骨から作られた道具だ。無駄の少ない生活。自然から得たものを自然に返す循環型の生活。それに比べ私たちはどれだけ自然を痛めつけているだろうか。

 彼らは「文明」に興味を示しつつ、適度に距離をとりながら暮らしているように見えた。だが、「文明」はそんな彼らを放っては置いてくれない。彼らの村まで道路が続いていた。それは伐採道路である。熱帯のジャングルは今なお伐採され、日本に輸出するために合板に加工されている。森が失われ、また商品経済に巻き込まれた先住民族は、工場労働者に姿を変えていく。また、広大なアブラヤシプランテーションは各地に点在している。われわれが案内してもらったプランテーションは16キロ四方の広大なものだ。一面アブラヤシが植えられている。足元には、化石のようになったジャングルの木々の破片が散乱していて、そこがかつて森であったことを物語っている。ジャングルを追われた先住民族はここでも労働者となっていることだろう。また、森の中でも、胡椒だけでなくアブラヤシを植えている畑もあった。金のなる木は魅力なのだろうが、焼畑のように森と共存するのではなく、大量の農薬などを使い、自然を痛めつけることとなってしまうことだろう。また、若者も村を離れ、町に働きに出ることも多いようだ。われわれの滞在中、一緒にいた若者が、われわれの出発に合わせてどこかへ働きに行っていた。

 時代の変化によって、人々は暮らしを変えていく。彼らも首狩りの歴史があるが、今はもちろん行っていない。日本で暮らすわれわれが、サラワクの先住民族に、いつまでも同じ暮らしを続けてくださいとは言えない。どのように生きていくかを決定するのはあくまで彼ら自身である。そして今後ともそうでなければならないし、彼ら自身が主体的に選び取っていけるようでなければならない。自然が破壊され、彼らが生きるすべを失って、仕方なく生き方を変えるようなことがあってはいけないのだ。また、われわれが「文明」と呼び、自分たちを幸せにしてくれると考えているものが、彼らに必ずしもそうとは限らないのである。逆に彼らにとっては有害なものかもしれない。グローバル社会の中で、もはや孤立して生きることは不可能かもしれない。だが、それぞれの生き方が尊重される世界でなければならないとつくづく感じる。

 われわれが去った後、彼らはまた普段通りの生活に戻っていったことだろう。森を後にしたわれわれと正反対に、再び森の中で森と共に過ごす日々を重ねているだろう。コンクリートジャングルの中で、私はふと思い出す。アパイ、インナイ、そしておばあちゃん。いつまでも、彼らの幸せを祈らずにはおれない。少なくとも、私たちが彼らの生活を脅かすことのないようにしなければならない。そしてまたいつか、あの愛すべき森の人々と森の中で再会できることができればうれしい。

語学研修の写真

戻る