ボルネオ島サラワク州の感想

 ボルネオ島へ先生2人と生徒2人、それに荒川さんの5人でスタディーツアーを行いました。到着に近付き飛行機のまどからは人工的にきっちりと整えられたアブラヤシの木のプランテーションが見えました。2日目に実際にプランテーションを見に行きました。

 このヤシは実を油などに利用するため、実をとりやすくするため背丈はそんなに高くありませんでした。アブラヤシを植えている下の地面には伐採したあとのかれてかさかさになった木がのこっていました。ヤシの実を収穫するときは人を雇います。その大半はインドネシアから出稼ぎに来た人だそうです。せっかくの森を伐採するのはもったいないなあ、と思いました。でもそれで商売しているひともいるし、日本でもカップラーメンなどにたくさん使われていて、なくなってしまうと困ってしまいます。地球環境と人の生活両方豊かにすることは難しいなと思いました。プランテーションを見た後イバンの村へ行きました。村の人たちは優しく温厚な人たちばかりで昔首狩り族などと言われていた怖い感じなど一切ありませんでした。村には水道があり、自家発電機もありました。水道は日本の企業がお金を出してくれ村の人たちがつくったそうです。村にはこしょうの木やゴムの木がありました。日本も多くマレーシアからゴムの輸入をしています。実際にみてみて国同士がつながっているんだなあ、と思いました。ゴム木やこしょうの木はそれぞれ所有している人がいて村のものではないそうです。村には消火器があり驚きました。荒川さんとSCSのアジャさんが消防士さんを連れてきて全員で消火訓練をしたらしいです。この村は過去に2回も燃えたことがあります。ロングハウスは高床式なので火事になるとすぐに燃えてしまうのです。村の人たちは日本の津波をすごく心配してくれました。日本人の友人がいるのはもちろんすべてを失う恐怖を知っているからとおっしゃっていました。本当に2度もすべてを失った人の言葉の重みを感じました。町のほうでは日本の津波のために募金がしていました。

 村へ来る時は船でしたが帰る時は車でした。道は途中まで舗装されてなくでこぼこ道でした。このでこぼこ道は伐採道路であるらしくトラックが通る道は人の生活の道になっていくそうです。森がなくなり道になり人があるきやすくなりました。便利でいいと思います。でも限度があると思います。

 クチンヘ行き日本人墓地をみました。全体に3分の1はからゆきさん、3分の1はもとからいた人、3分の1は兵隊さんです。からゆきさんのなかにはだまされてきた人もいます。私はボルネオ島を日本が侵略してたことを知りませんでした。イバンの人たちのこともアブラヤシのこともずっとしらないままでいたと思います。イバンの人たちは私たちのことを伝えてほしいとおっしゃってました。私は実際に行ってみて国と国どうしがつながっているんだなと本当にそう思い理解しました。そしてそれを伝えて、話し合ってみたいと思いました。

戻る