今回のスタディーツアーについて

 このツアーは、決して言葉で語っても通じないものがあると感じたものだった。勿論、アブラヤシのプランテーション、オランウータンの保護施設などは、写真と説明などで補完できる。アブラヤシのプランテーションは、とにかく圧巻の一言である。最初にクアラルンプールの空港に着いたとき、緑に囲まれているのかと思っていたが、それは全てプランテーションだった。そして、実際に見学させてもらったプランテーションは更に驚くべきものだった。事前に学習していたこととは、違うことがあふれていたのである。アブラヤシの木は低く、実のなる期間も1ケ月ほど短くなっているのである。そして、何より暑かった。最近は、インドネシアからの出稼ぎに来る人が多く働いているそうだが、あの炎天下の下、農薬に囲まれながら生活しているという事実を聞くと、少し心が痛くなった。しかし、いまやアブラヤシは日本にとって欠かせないものになっている。無策にプランテーションに反対することができる立場にいないという、なんとも歯がゆい立場がもどかしかった。どうか将来、このプランテーションの問題がよい方向に向かってくれることを願う。また、オランウータンの保護施設や日本人墓地、様々な宗教の寺院の見学など、自分の見識を深めるにはとてもよい経験、そして思い出になった。

 しかし、イバンの人々と寝食を共に過ごさせてもらった経験は、しないと全く分からないものなのだ。ロングボートで村に着いたときから、みんなにお別れを言うまでの間、明らかに今まで経験したこの無いものを、見たり、聞いたり、触ったり。恐らく、この機会が無ければ、自分は一生この体験をすることはできなかったように思う。特に、自分の中でも感動的だったのが、自然との共存が、ありのままに存在することである。ロングハウスの外に出れば、360度に森林が広がっている。そんなものは、日本でも存在するじゃないかと思う人もいると思うが、その中央に人が住んでいるのである。それが一番大きな違いなのだ。勿論、イバンの人々も、貨幣文化と全く縁が無いというわけではない。生活一つ一つには、やはりお金がかかってくるものである。しかし、現地の人々はそれに甘えようとはしない。食料は自分の土地で栽培する人が多く、身近な道具を作る素材だって、ジャングルの中から採集したりもする。そうやって、必ずしも便利な方向に頼らないという人々の心には、何か惹きつけられるものがある。このツアーで、自分に得たものはとても大きい。言語が違う人たちとのコミュニケーションをとろうとすることの難しさ、イバンと日本の習慣の違いの交流、そして、初対面の自分たちに、まるで家族に接するようにやさしくしてくれたこと。それらの全ては、今回のツアーに行ってよかったと,思ったことで、特筆すべきことだ。しかし、よいことばかりではない。食事や環境が体に合わない点もあったし、外国にいるという不安が自分を襲うこともあった。しかし、それすらも通り越して、あの人たちと過ごした日々は、すばらしいものだった。また機会があれば、ぜひまたあの人たちと会いたいと思う。

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